友人『俺はミュージシャンになるぜ!人生は一度きり、ならば好きなことを全力でやってみたい!』俺『じゃあ俺は…漫画家になる!!』←この時点では、何もかもうまくいくと思っていた。。

俺は17歳まではごく普通の生活を送ってきた。
特に大それた短所も長所も無い感じ。
まさに「どこにでもいるようなごく普通の男」
人生の分岐点が訪れるのは17歳の夏。
進路希望表が配られた日のことだった。
俺の高校は割と偏差値のいい高校だったが、
周囲の頭のよさに付いていくことに俺は限界を感じていた。
そこに俺の親友だった男に進路をどうするつもりかを相談してみた。
彼は「俺はミュージシャンになるぜ」と言った。
その迷い無き即答っぷりに…俺はカッコイイと思った。
「人生は一度きり、ならば好きなことを全力でやってみたい」
「退いて後悔するより、進んで後悔したい」
彼の口癖だったが、それまで何となくレールに乗ってきた俺には新鮮な発想だった。
そして俺も昔から大好きだった漫画家を真剣に目指すことを考え始めた。
「漫画家になろうかな」と思ってから成績が下がるまでの間は凄まじかった。
「漫画家に学歴は関係ない」
というのが逃げの口実となり、次の考査で一気に赤点連発。
落第の一歩手前まで行きかけた。
高校をちゃんと卒業してから漫画を描き始めようと決めていたが
あの成績では意味が無かったかも。
ともかく高校は無事卒業できて
俺は漫画を見よう見真似で書き上げS社に持ち込みに行った。
S社で俺を受け持ってくれた編集さんは
今振り返ると結構な敏腕編集だったのかもしれない。
一流少年誌の看板漫画の当時担当編集だった。
俺の原稿をとても字を追ってるとは思えないくらいのスピードで読み
「君の原稿を読む義理は読者には無い」というようなことを言った。
俺は自信があったということもあり
その言葉一つ、その編集の厳しいテンションに一気になえてしまった。
「金の卵がやってきた!これは即デビュー」
「次は連載用のネームを持ってきて」
くらいの反応を期待していたのだ。
今思うと本当に有り得ないことだけど、当時は本気でそうなると信じていた。
しかし、その時点ではまだ士気は折れていなかった。
S社の編集の腕なのかもしれないが、
けなされはしたけど俺の作品のいい所も挙げてくれて
いい具合にやる気を促されたような気がした。
その作品は月例賞にまわされることになった。
発表日まで何も手につかないくらいにそわそわしたが
結局「あと一歩」にも引っかからず落選。
これにも相当なショックを受けた。
今まで自信満々だったが、ここで初めて自分は天才ではないと思い知らされた。
そして、そんな中なんとか第二作目をかき上げ
同じ編集さんに見てもらうことになった。
第二作目の持込のとき、その編集さんは1時間も遅刻した。
俺はいつ訪れるか分からない編集さんに失礼のないよう
背筋を伸ばしたままで1時間待ち続けた。
一時間後訪れた編集さんは大げさな仕草で事務的に謝罪し
特に雑談も無く俺の原稿をめくり始めた。
相変わらずめくる速度が速い。
そして「これは賞に出しても絶対に引っかからないでしょう」と言った。
「え?」
「主人公にまったく感情移入できません。例えばここの・・・」
そこから先はよく覚えていないが、とにかくこの作品は賞に出すことすら拒まれた。
2ヶ月掛けて仕上げた俺の第2作目は
預かってもらうことすら出来ずに、そのまま家へと持ち帰ることになったのだ。
帰りの電車の中、ものすごく惨めだった。
今のままではいけない!と思った。
次の作品をかき上げるのには半年以上かかった。
バイトで生活費を稼ぐのも楽じゃなかったし
原稿も今まで以上に丁寧に仕上げた。
ネットや本屋で技術を学び、透視法、ケズリなどの技術も織り込ませた。
すると明らかに今までと違う、かなりいい原稿に仕上がった。
ストーリーは「金色のガッシュ」の亜流みたいな感じになってしまったが
少年誌らしい自分の漫画に満足だった。
意気揚々とS社にカムバック。
同じ編集さんに見てもらうことになった。反応は良かった。
「今活躍している作家陣の新人時代と比べても遜色ないよ…」とまで言ってくれた。
「これは賞に出しましょう」とも言ってくれた。
やった!!!!と思った。
それから賞の結果が出るまでの一ヶ月間、本当に幸せだった。
どれくらいの賞がもらえるのかがかなり気になった。
ちなみに漫画の賞はどこも大体同じような名前で、
大賞→準大賞→入選→準入選→佳作→奨励賞→期待賞→もう一歩という格付け。
佳作をとれればデビューレベルなので、
俺はその佳作に何とか食い込めないものかと願った。
しかし、結果は…もう一歩にすら名前がなかった。信じられなかった。
何かの間違いかとも100回くらい思った。
しかし確認の電話を入れられるほどの度胸もないため
放心のまま一週間くらいを過ごした。
ここで俺は初めて将来に対して焦り始めた。
こんなニートに近いフリーターのような生活をしていて
ものにならなかったらどうなるんだろう?
当然、こんな場合は我武者羅に漫画を描き続けるしかない。
でもクオリティを落とすわけにはいかないし、
やる気が加速につながらないのも作画のじれったいところだ。
結局バイトに追われながら
次の作品が仕上がったのは8ヶ月以上も経ってからだった。
しかし、俺はS社には連絡を入れられずにいた。
編集さんが俺のことを覚えているはずもないだろうし、
いよいよとなるとこの8ヶ月分の結晶が砕かれるのが怖くなったのだ。
そして俺は、別の出版社A社に持ち込むことにした。
S社に比べるとかなり格が落ちてしまうが、俺はとにかく結果が欲しかった。
A社の編集さんは恐ろしく優しかった。
志望雑誌のレベルを下げたこともあり、俺は初めてそこの賞で期待賞を獲った。
これは本当に嬉しかった。
受賞者は名前とカットが雑誌に掲載されるのだが、
その雑誌が発売される日は、近くのコンビニまで0時を回ってから
自分のカットをチェックしに行ったくらいだった。
その時点で俺の年齢は21歳。大学に行った奴らは3年生。
もうすぐ就職活動という時期。順調に人生を歩き始める同級生。
この波にきちんと乗れれば、何とか彼らと肩を並べられるな…とか、
そういうことを思ってたのは今でも覚えている。
そして、それから先は一進一退の打ち合わせ。
ネーム段階から話し合いをして賞に出すという時期が続いた。
その時期は落ち込むこともあったが、やはり基本は楽しかった。
そして1年以上打ち合わせを繰り返した後、俺は終に佳作を獲ることに成功する。
人生最高の時だったと思う。
その報告を電話で受けた時には喜びと安堵で涙が出そうになった。
これで俺の漫画人生は開ける!次はいよいよ連載ネームを切れるんだ!
年は既に23歳になり、同い年の奴らは働き始めていたが、
何とか俺も社会人としてやっていけそうだ…と思った。
ここからが地獄の始まりだった。
連載ネームを切る作業は楽しかった。
特に今まで書いたことのない第2話、第3話を描くのが新鮮だった。
読みきりではキャラ数を減らせと言われるのが普通だが連載ではそうはいかない。
逆に魅力的なキャラクターをどんどん出していかなければ物語は広がっていかない。
今まで溜めた欲求を晴らすかのごとく、暖めてきたネタの全てをネームに込めた。
この作業にも半年はかかったと思う。
担当編集を通り、次に編集長に見せられることになった。
編集長がokサインを出せば、晴れて俺も連載作家、漫画家になれる!!
しかし、結果はボツだった。
「漫画家はデビューするまでは簡単」
「デビューしてからの方が遥かに難しい」
というのは、その時点で結構耳にしていた。
しかし俺自身自分の連載用ネームにはかなりの自信があった。
波に乗っていたということもあり編集長も通すだろうと思ってた。
しかし結果は惨敗。
このネームを手直しするとかじゃなくて
完全に沈めて新しい何かを描けとの事だった。
「このストーリーを描くために漫画家を目指したんだ!」
と思えるほどのネームが完全にボツになったショックも冷めぬうちに「新しい何か」
俺は頭を捻った。新人にも旬というものがある。
近く行われた賞で授賞をした新人はやはり編集部からの注目度も高い。
記憶に新しいし、若さもある。
逆にくすぶり続けると、もうセンスが枯渇しているとか古いとか
編集部内で飽きられてしまったりすることがあるそうだ。
俺が連載用ネームを切っている間にも何人かの受賞者が生まれた。
俺は焦ってネームを切った。
しかし俺が切れるネームは方向性は似ていて
そのネームは担当編集の時点でボツをくらった。
そんな中、俺と同じ時期に授賞した人の連載が決まった。
俺は負けたと思った。でも悔しさよりは焦りの方が勝っていたと思う。
この時点で24歳。
気分転換に久しぶりに同級生と飲みに行った。
同級生は社会人2年目で仕事が段々と板についてきた。
高校も割とレベルの高い高校だったため、皆良いところに就職できたようだ。
ちょっと前まではひたすら皆で牛丼食べていたのに、
今や良さげな店で洋酒を飲むようになっていた。
未だに1500円の服を着ているのは俺だけだった。
「それで、お前の漫画いつ読ませてくれるの?」と友人は言った。
何も言えなかった。
それから半年掛けて、2回目の連載用ネームを編集長に提出する。
一週間から二週間は待たされただろうか。
担当編集から電話がかかってきた。
「俺君!あのネームだけどね、編集長ok出したよ!!」
マジか!!!???遂にきた!!!!!
やったぞ、遂に6年もの努力が実ったんだ。
もう25歳になるがおれはまだまだ若い!
これからだ!親父やお袋にも長いこと迷惑を掛けた。
親戚づきあいでも肩身の狭い思いをさせた。
友達に俺の授賞カットを自慢してくれた妹も、
これだけ俺がくすぶっていたんじゃ肩身が狭かったろうな。これから挽回だ。
俺は仕事場はどこにするか真剣に考え始め、画材も大量に購入した。
そしてひたすら連載が決まるまでの間
先回りできそうな背景とかを書いたりして連載開始日が伝えられるのを待った。
しかし、待てど暮らせど担当編集からの連絡はなかった。
一度連絡したが「もうちょっと待って」と言われ、
それから2週間〜3週間は連絡がなかった。
何度も連絡するのも気が引けるし
決まったら向こうから連絡がくるのは間違いないので
俺は「こういうものなのかな」と気長に待つことにした。
その間、お世話になった人に色々とメールとか電話をした。
皆「おめでとう」と言ってくれて、本当に心から喜んでくれた。
担当から連絡があったのは、更に2週間が経過した頃だった。
「待たせちゃって、ごめんね。あの話だけどね、やっぱりダメになった」
え?頭が真っ白になった。
担当編集はその後、怒涛の謝罪か言い訳か事情を説明するかと思いきや
何も言わずにこちらの出方を待っていた。
完全に開き直っているような雰囲気が伝わってきた。
俺がどんなに何を言っても無駄だということがその態度で分かった。
俺は震える手で携帯電話を何とか持ち「分かりました」とだけ言った。
ここでヤケになってはいけないと必タヒに言い聞かせ
「もう少し届きませんでしたね。今度はもっといいネームを書きます」
と担当編集に伝えた。向こうの反応は覚えていない。
「俺が漫画家になれないとは思わなかった」
…と一番最初に思った。唐突に出てきた言葉だ。
そして次に両親のことが頭をよぎった。妹のことも。
何て言おう。友達には?
今まで大言壮語をかまし平凡な人生なんてクソクラエとわめいていた俺は
急にそのことが恥ずかしくなって、誰もいない部屋で丸くなった。
そして自分に残されたのは25歳・職歴なしという現実だけ。
完全に心が折れた。
すっかり戦意を失った俺は今からでも普通の人生は送れないだろうかと模索した。
だが、高卒、職歴なしの25歳が働ける環境なんてブラックしかなかった。
そのブラックですら必タヒに頑張って雇ってくれるかどうか…というような状況だった。
いつか一発当てて夢の印税生活…
そんな夢は遂に夢として消えてしまうのか…?
そんな中一本の電話が届いた。
それは俺が7年間の漫画家志望生活を送ってきた中で出来た
数少ない漫画家志望友達だった。
「俺君さ、アシスタントやってみない?」
この一本の電話が俺を更なる破滅への道へと
いざなって行くことを俺はまだ知らなかった。
その電話を受けたときに思い出した。
そういえば担当編集伝で編集長が漏らしていた不満点に、俺の絵がとにかく未熟だと。
ストーリーに関しては及第点かもしれないが絵が…とのことだった。
もし俺の人生にこの先漫画界に、夢に
しがみつけるチャンスがあるというのなら、もはやここしかない。
年齢的にも次の作品が最後のチャンスだ。
今のどうにも動けない状況を打破しなくては。
「やります」
俺はそう答えた。
アシスタントについてはやりたがる人とやりたがらない人の二通りがいる。
理由は様々だが、俺は後者だった。
眠れないという話は有名だし、安いしキツイ緊張もするし
漫画界での上下関係に巻き込まれるのが嫌でもあった。
別の理由に「アシスタントもせずに漫画家になった」という人への憧れもあったのかもしれない。
だが、そんな風に努力を放棄したツケは
確実に遅過ぎるタイミングで回ってきた。
今がギリギリ取り戻せる最後のチャンス。
現場は2時間近くかかる場所にあった。
緊張しながら俺は先生の家のチャイムを押した。
「や〜どうもどうも」
T先生の風貌はかなりごつくて
漫画を書いている人とは無縁そうなビジュアルだった。
(※アルファベットは適当です)
先生の家には4人のアシスタントさんがいて、
Aさん・34歳・男・ヒゲが顔一周している。小太り。
Bさん・26歳・女・メガネで大人しそうに見えるけどすごく明るい
Cさん・26歳・男・痩せ型で有名大学出のインテリ
Dさん・33歳・男・でかくて茶髪。絵がすごい上手い
俺は5人目のレギュラーになった。
先生が明るいせいか、現場は健康的でのびのびとした雰囲気だった。
現場に入ってまず思ったことが
「絵うめええええええええ!!!!!!」ということだ。
漫画家を目指し始めて一番の衝撃だった。
信じられないくらい線が細く、空間の奥行きがすごかった。
トーンで表現される立体感も常軌を逸していた。
雑誌で見るのと生の原稿はこうもちがうのかと思った。
俺が今まで頑張って仕上げて悦に浸っていたものはなんだったんだ?
「簡単な背景を書いてみて】と言われたので、
持てる力の全てを注ぎ込んで学校の絵を描いたが、
明らかに線の太さがAさんたちのものとは異なり、
幼稚園児が描いた様な酷い絵に仕上がってしまった。
先生は俺の絵を見て失笑した。
そして、誰にでも出来る簡単なベタという
黒く塗りつぶすだけの作業が俺の仕事になった。
仕事が始まると誰も喋らなくなった。明らかに空気が一変した。
俺も緊張感を持ってベタに集中する。
「×」印の付いた箇所を塗るだけの単純作業だったが、
「はみだしてはいけない」と思うとなかなか時間がかかる。
しばらくして別室から先生がアシ部屋に戻ってくる。
まだ一枚目のベタ作業に苦戦中の俺。
「え?どういうこと?なんでこんなに時間かかってるの?」
俺はドキリとした。
「おいC!」と先生は若干声を荒げて言った。
Cさん「はい」
先生「お前ちゃんと新人に時間に対する意識教えたの?」
  「こんなペースじゃ仕事にならないよ」
俺の作業が遅いせいでCさんが先生から怒られた。
Cさんは「俺君もっと手早く…でも丁寧にね」と俺に言った。
俺は「すみません」と謝った。
この時、既に俺はこの現場の違和感にうすうす気付いていた。
先生は豪快なルックスだったが、作業に関してはとてつもなく神経質だった。
ベタ一つにしてもはみ出しはもちろん
ヌリムラが許せず塗り忘れにもかなり厳しかった。
そして一つ俺がミスをするごとにCさんが叱責された。
Cさんが叱責されるたびに現場には緊張が走った。
そんなことが初日のわずか一晩で何度も起きた。
段々と楽しい気分だったのが恐怖へと摩り替わっていった。
先生は特にCさんを目の敵にしているような感じだった。
俺は新米だから仕方ない、だがCは違うだろ!みたいなことも何度も言われていた。
他のアシさんもみんな黙っていて特に助け舟を出すことはしなかった。
たまに先生に意見を求められるときには
先生の味方になって一緒になってCさんを責め立てた。
俺は俺が起爆剤となりCさんが攻め込まれるという状況に居たたまれなくなった。
しかし、どうしたって最初ということもあり時間がかかってしまう。
そして、働き始めてから30時間がたとうかという頃に仕事が終わった。
それからというもの、先生のCさんに対する苛立ちは
日を追うごとに酷くなっていった。何かといえばCさんが怒られていた。
もちろん俺やAさん、Bさんが叱責されることもあるのだが、
とにかくCさんがターゲットになっているという感じだった。
Cさんの顔色は悪く、明らかに憔悴しているようだった。
「これミスってるよ」
「すみません」
「すみませんじゃないよ、なんでミスしたの?」
「うっかりしていたとしか…」
「うっかりってなんだよ!緊張感持ってやってねえってのかよ!?」
「そうじゃないです」
「じゃ、なんでミスったんだよ」
というようなやり取りが続き、酷いときには何時間も説教が続くこともあった。
俺もどんどんと心を悪くしていった。
Cさんの限界が近いことは誰の目にも明らかだった。
俺の目から見ても「ありえない」と思うようなミスを連発していった。
それに比例して先生の苛立ちも膨れ上がっていった。
「おめーは仕事したくねえのか!!?やめるか!!??」
と怒鳴られることも多くなっていった。
本心ではやめたいだろうが、先生に対する恐怖心が上回り
「いえ、頑張りたいと思ってます」と答えるだけだった。
それからもCさんとT先生との「やめるか!?」「いえ頑張ります」の問答は何度か続いた。
先生の理屈は今思い返しても全て正しいように思えた。
「頑張ると決めたのなら緊張感を持って」
「ミスするのは緊張感が欠けている証拠」
「どうしてもミスしてしまう体質ならばそれを先回りする工夫を」
などなど。俺自身その理屈には納得できたし上手くいくような提案にも思えた。
しかしCさんのミスが止むことはなかった。
閉鎖された空間に何十時間も一緒にいると、なんだかある種異様な空気になってくる。
今振り帰るとT先生の容赦のない叱責は
どこか常軌を逸していたことが分かるのだが
当時はT先生が絶対的な存在として
他のアシスタントさんの心までも掌握していた。
そういう映画は何本か観たことがあるけど、まさにあんな感じ。
俺自身も何度かCさんに助け舟を出すチャンスはあったのだけど
T先生理論を聞いていると、そして他のアシスタントさんがそれに賛同しているのを見ると
なんだかそっちの方が正しいような気がしてきてきてしまうのだ。
そして、遂にCさんが崩壊する日が来た。
その日のCさんの怒られ方は特に酷かった。
大袈裟でなく10分単位で怒られていたと思う。
多分「また怒られてしまう」というような焦りが次のミスを生んで
それによりもたらされた叱責が憔悴を生み、
あとはひたすらその負の連鎖が起きるという感じだったのだろう。
もう誰のどんなアドバイスも通じなかった。
そしていつものようにT先生が「お前やめるか!!?」と彼に怒鳴った。
Cさんはしばらく黙った後、静かに「…はい。もう付いていけません」と言った。
俺は思わず涙がこぼれそうになった。
いつもの返答ではなかったことに驚いたのか。
その後はT先生も大人しくなった。
そして急にCさんに対して申し訳なく思ったのか、優しい態度で
「おいおい、ここで投げ出していいのかよ」というような激励の言葉を掛け始めた。
その後T先生はCさんを説得し続けた。
そして、そんな先生の態度にほだされたのか、それとも恐怖からか
最後にはCさんは「やっぱりもう少し頑張ってみます」と言った。
そしてそれが俺が聴いたCさんの最後の言葉となった。
次の仕事日。待てど暮らせどCさんは現れず
連絡も一向に付かないという事態が発生した。
Cさんは仕事場ではかなりの仕事量をこなしていたので、
Cさんがいないとなると仕事は大変なことになるのは目に見えていた。
Cさんの担当編集にも連絡が行き
アシスタント全員で何とか連絡を取ろうとしたが携帯はつながらなかった。
そんなことしている間にも締め切りは近づいてくるので
俺とアシさんは原稿に着手する。その回の仕事は地獄だった。
ほんの3時間程度の仮眠で40時間は働いたんじゃないかと思う。
今まで簡単な仕事ばかり回されていた俺にも背景、ケズリなどの仕事が回ってきた。
頭がくらくらして、今まで標的とされていたCさんがいなくなったことで
先生も苛々していたように見えた。俺は一刻も早くここを辞めたいと思った。
Cさんが漫画家を目指すのを辞めると聴いたのはそれからまもなくのことだった。
実はCさんは既にデビューが決まっており連載案も進行中だったのだが、
編集部へ一本の電話が入ると
「もう漫画家は諦めます。今までお世話になりました」
と消え入りそうな声で言ってきたらしい。
あれほどの叱責に耐え、努力し続けたCさんの漫画家への夢はこうして終わった。
これは同じ道を歩くもの同士にしか分からないことなのかもしれないけど
俺はそれを聴いて本当に悲しくなった。
彼はもう漫画家としての命を捨て、新しい道へと歩き始めたのだ。
そして、未だ何も成し得ていない俺は、
それでも夢から最後の指を外すことが出来ずに、こうしてこの環境に身を投じている。
Cさんが消えて、次の標的になったのは俺だった。
Cさんの仕事を引き継ぎ背景などを描くようになった俺だったが
日に日にT先生の俺に対する風当たりはきつくなっていった。
「この背景どれくらいで描ける?」
「えっと3時間もあれば」
「3時間?!遅過ぎるだろそれは。もっと高い目標を自分に課せよ」
「えっと、それじゃ2時間で」
「よし頑張れ」
しかし結局3時間かかる背景。俺の場合4時間になることも多かった。
そして「何でこんなに時間かかってるんだよ!?2時間で出来るって言ったろ?」
…大体こんな流れが皮切りとなった。
そこから先はまるでCさんと同じ道をなぞるように俺がCさんと同じ目に遭った。
何度も辞めたいと思った。辞めようとも。
しかしT先生を納得させるだけの説明が思いつかなかった。
「きついので辞めます」
ではT先生を通して編集部に悪い印象をもたれてしまう。
俺はその時そこの出版社にも持ち込みをしていたので、
その辺のいざこざで全てがおじゃんになってしまうのは避けたかったのだ。
またゼロから育ててもらった恩もある手前
「あなたのところはきついので他のところに行きます」
というようなことは面と向かって到底言えなかった。
そんな生活がひたすら惰性が一年近く続いた。
一年経って俺はようやく一つの作品を仕上げた。
一般人に比べたら遥かに安い給料で、
どうにかこうにか日々を凌ぎ、やっとの思いで上げた作品だった。
今までで一番出来のいい作品だったが、もう俺にはこれが最後の砦だった。
これを上手く連載につなげることが出来たら
穏やかにT先生のもとを離れることが出来るし自分も独り立ちできる。
T先生のいる出版社とは今まで自分が書いてきて
ボツを食らった作品を見せたりして打ち合わせをしてきたけど
T先生とは正直縁を切りたかったので、
別の更にグレードを落とした出版社に持っていくことにした。
今まで培ってきた技術を全て詰め込んだ作品だった。
トーンも背景も入れまくり、素人に見せたら「すげええええ」と言わせる自信は今でもある。
作品のレベルは上がっている反面出版社のレベルは落としたんだ。
これはもう絶対に上手くいくだろう。
中学生が小学生のテストに挑むようなものだと尊大なことを思った。
その確信があった。自信も。
出版社の編集に原稿を手渡し「すごい」と驚く顔になる瞬間を見るため
俺は下唇をかみながら編集の顔を凝視した。
しかし編集の表情は特に変わらず、代わりに俺にこう言った。
「君、いくつ?」
「え?」
唐突な質問にどきりとした。俺は既にその時26歳になっていた。
漫画家志望がサバを読むというのはよくある話だったが、
今後この人ときちんとした人間関係を築くつもりならウソはいけない。
俺は正直に「26歳です」と答えた。
「おほぉ〜w結構いってるねw」
心臓が冷たくなった。
漫画家に年齢なんて関係ない…というのは一応事実だが、
暗黙のボーダーラインがあるのもまた事実だ。
ジャンルによってそのラインは異なるが少年漫画なら大体25歳だと言われている。
25歳までにデビュー出来なければ、その先も厳しいだろう…というわけだ。
これは割と一般的に知られていることだし俺も知っていた。
しかし、ここにくる時にはそのことを全く考えてはいなかった。
なぜなら俺は一応25歳までに「佳作」を獲ることには成功していたわけだし
そういった意味ではレールには乗っていたからだ。
しかし、今までの出版社との関わりを全て絶ちゼロからのスタート。
「初めて現れる男」となった俺は、新人としては年齢を重ね過ぎていたのだ。
編集は「よく描けているけども…」と渋い顔をして
俺の原稿をパラパラとめくり続けた
編集は終始暗く「特に言うことがない」というのをごまかすために
何かを喋っている…という感じだった。
その言葉の中に好意的なものはなかった。
「アシスタントはしてるの?」と訊かれたので
「T先生ってご存知ですか?」と答えたら。
「ああ〜〜!もちろん知ってるよ!」と上機嫌になった。
彼が好意的になった唯一の瞬間だった。
その時ほどT先生と自分との差を実感したときはなかった。
こともあろうに俺は「悔しいな」とは思わず
「凄いな、T先生は」と思ってしまったのだ。
そして編集が別れ際に言った台詞。
「これどうする?賞に出す?出したとしても…まぁ奨励賞ってとこだと思うけど」
「次の作品描くなら打ち合わせには応じますよ」
その言葉にダメを押された俺は、
「いえ…いいです。もうちょっと考えてみます」
と小さく笑って自分の原稿を手元に手繰り寄せた。
今日、またイチからやり直すつもりではいたけど、
多分連載用ネームを切る…というところまでは一気にいくと思ってた。
原稿のレベル自体は上がっているのだから自惚れではない筈だった。
それなのに俺に突きつけられた現実は「再び奨励賞からの出直し」
あのテンションの低い編集と打ち合わせを重ね、賞に出し、
何とか佳作か入選を獲り、そして連載用ネームを切り
担当編集を通して、今度は編集長にokをもらって…
…って、一体どれだけの時間がかかるっていうんだ?
それまでずっと俺はあの現場でアシスタントを続け、この生活なのか?
そして、帰りの電車、窓に映る自分の顔を見つめながらこう思った。
「俺…才能ねーんだ」
自分の降りるべき駅に着いたが、そのまま終点まで行ったのを覚えている。
そして何でもいいから気分転換に遊ぼうと思ったが、
全く俺には自分を持ち上げられるだけの発想が光らなかった。金もなかった。
町の花壇の柵に腰を掛けて、携帯を無意味にいじった。
まだ返信していなかったメールに気付く。友人からのメール。
「今度晴れて結婚することになった。ぜひ式に来てください」という内容のもの。
目に涙が浮かんだ。俺は行けない。
夢に敗れても友達は友達。
でも「今なにやってるの?漫画は順調?早く読ませてよ」
たったこれだけの質問が怖くて、俺は友人の晴れ舞台を見守ることを拒絶してしまった。
家に帰ったのは朝方だった。
ひとつの出版社でダメでも別の出版社に持ち込め。
…というのはよく言われていること。
今手元にある原稿も別のところに持ち込めば光がさすかもしれない。
現に回る出版社の候補は色々あった。
3つくらいは回ってみようと思っていたのだ。
しかしあの編集のあの態度に打ちのめされた俺は
急に自分の原稿がつまらないもののように思えてきた。
一年間も掛けて仕上げた力作。
この一年、この作品が俺の全てだった。
しかし、この作品は誰の目にも留まらず、
誰からも読まれない。誰も必要としていない作品だった。
この作品を呼んだのはこの世界でたったの二人。俺と編集さん。
そのためだけの作品となってしまった。
持ち込みする気力を失ってしまった俺は
処分するつもりで別の雑誌にその原稿を投稿したが授賞する確立は低かったし
授賞したとしてもその道のりを考えると辟易とした。
つまり、これが俺の最後の作品。夢は破れた。
翌週にはアシスタントの仕事があった。
もはや俺の獲る道は一つだった。
アシスタントを辞める。漫画業界からも身を引く。
26歳職歴なしだけど、あの現場に一年耐えた俺なら
どんなブラックでもやっていけるだろう。
今はただ、本当にただ「俺は今〜やってるよ!」と胸を張って言える何かが欲しかった。
今までの自信満々の頃の俺を知ってる知人にはしばらく会いたくないけど
いつか自分に自信が持てるようになったら連絡を取ろう。
一発逆転なんて夢は無くても。慎ましやかな人生で良いから生きていこう。
まずはハローワークにでも登録しようか。
…そう思うと、割と清清しい気分になれた。
そして翌週の仕事日。
アシスタントさん全員とT先生の前で「仕事をやめます」ときっぱりと伝えた。
虚を突かれたという感じでT先生は「え?どうして?」と言った。
「見切りを付けました。漫画家は諦めて就職します」
と答えたら、それ以上は何も言わなかった。
周囲のアシスタントさんも何も言わなかった。
俺は依然最も叱責される回数が多かったし、
他のアシスタントさんには単なる逃げ口上のように響いたのかもしれないけど
その言葉にウソはなかったから凛として発言できたんだと思う。
そして俺は完全なニートになった。
気が抜けて一ヶ月くらいは何となく
ハロワの募集ページを見るだけの日々を送っていた。
そんな時に再び、一本の電話が鳴り響く。
「おめでとうございます。当社に応募いただきましたあなたの作品が入選に選ばれました」
なんですと!!?
それは最後のあの原稿を投稿した出版社からだった。
26歳職歴なし…これは本当に社会にギリギリなんとか
まだ頑張ればカムバックできるかもしれない状態だ。
今、引き返せばまだ…、でも…、でも…。
希望は時として絶望以上に残酷だったりする。
別の雑誌に投稿したことで俺の作品が入選を獲った…ということには本当に驚いた。
「雑誌によって評価は異なるから色んな所に持ち込んだ方がいい」
という意見はよく耳にしていたが
正直そんなことは信じていなかったからかもしれない。
大抵、一人に見せてダメなものは何人に見せてもダメな筈だ。
しかし、まさかわが身にそういうことが起きるとは思っても見なかった。
本当に大袈裟だけど、まるで神様が「もうちょっとだ、頑張れ」と
引き返す俺の背中を引いてくれたような、そんな気さえした。
なんてことだ…これから就職活動に本腰を入れようとした矢先に…。
引き返すか…それともこの流れに身を任せるか…意外と悩みはしなかった。
授賞の連絡を受けた際、俺はその編集さんと
一度お会いするという約束を取り付けたからだ。
突然の電話でびっくりしたということもあり
会う約束の日は電話のあった翌日に設定してしまった。
初めての訪問にはいつも一時間くらい前に到着するようにして
近場の喫茶店やコンビニで時間を潰すのがクセになっていたが
この日は時間ギリギリに伺ったのを覚えている。
編集さんは俺より年齢が下の若い男性で新米編集だった。
そのせいかこちらにとても気を遣い
なんていうか作家扱いしてくれているというような感じだった。
気を遣われるのは苦手だとか今までずっと思ってたけど
その編集さんの丁寧な態度に触れ、その考えは覆った。
今まで俺が出会った、どの編集さんよりも腰が低く丁寧な編集さんで
俺はその人と話をするということが本当に居心地良かった。
その日は顔合わせのみ…というような簡単な挨拶だけにとどまった。
編集さんの「次は新作ネームを描きましょう」という言葉に思い切って
「連載用ネームでもいいですか?」ときいたところ
「もちろんokですよ。読み切りを載せても
 結局最終的にやることは同じことですからね」
「連載を狙っていきましょう!」と言ってくれた。
また連載用ネームが切れる。
その日の帰りの電車は、本当にいろんなことを考えた。
先にも述べたけどその時俺は26歳だった。
27歳になるまでは約半年間の猶予があった。
その半年を、最後の夢の猶予にしようか…と思った。
捨てた命が思いもかけず蘇ったような、そんな心地がして
なんていうか凄く爽やかな気分だった。
夢を諦めるということが怖くなくなっていたからかもしれない。
まるで18歳の一番最初の頃のような、あの新鮮な気持ちが蘇ったような気分だった。
そして俺は再びその半年間アシスタントをすることを決意した。
といってもT先生の下に戻るというわけではなく新しい現場を探す方向で考えた。
業界の人には有名過ぎる某アシスタント募集掲示板にて色んな作家さんの求人を見た。
どこの求人の条件もT先生の現場に比べたら給料も高く、拘束時間も短かった。
正直お金が稼げるなら現場はどこでも良かったんだけど、
やはり行くからには役に立ちたいし
あまりにレベルの高過ぎる現場はまたゼロからスタートになりそうで敬遠した。
「イチからやってやるぜ」という
かつての若い気力は、この時にはすでに枯れていた。
そして、これは同じような経験をした人にしか分からないような感情かもしれないけど
煌びやかな道を行く作家さんの下にも行きたくはなかった。
当時はまだ『バクマン』は連載していなかったけど
もし当時連載していたとしても俺は読むことが出来なかったんじゃないかと思う。
かくして、俺はマイナー誌の作家の元でアシスタントをすることになった。
出迎えてくれたのはS先生。(※アルファベットは適当です)
S先生の下には二人のレギュラーアシスタントがいた。
Eさん:22歳・女・かわいい
Fさん:35歳・男・中背中肉・いつもにこにこしてる
俺は3人目のレギュラーアシスタントとなった。
これも業界の人にとっては常識的な話だけど、
アシスタントの世界も割と狭いので、
俺はT先生とつながりがある人がいたらどうしようかと
内心びくびくしていたけど結局それは杞憂に終わった。
S先生は40歳の大台に乗っていたけど
いかつい感じは一切なく、見るからに温和な人で内面的にもその通りの人だった。
早速俺が書いた背景を「上手い」と褒めてくれたし
Eさん、Fさんも「上手いねえ〜」と互いに盛り上がってくれた。
アシスタント現場にもこんないい現場があるんだ…!!衝撃だった。
その日からの俺の日常は今までの暗黒期がウソのように輝き始めた。
いつも何かにせかされているような、あのドス黒いモヤが晴れ渡っていた。
その新人編集さんとの打ち合わせやアシスタント
どこに行っても皆が優しかった。仕事も楽しく取り組めた。
ただこれまでのように今までの友達とは
もう意識的に連絡は取らなくなっていった。
詰まるところ俺を今まで苦しめてきたのは、
俺がこうありたいと願う「体裁」だとうすうす気付いていたからだと思う。
俺は俺の痛い恥ずかしい過去を知る人間と距離を置き
全て新しい人間関係に身を投じ、その心地よさに溺れていった。
俺が何より楽しいと感じていたのは、Eさんとの時間だったのかもしれない。
Eさんはとにかく明るく可愛かったので
長く作業が続く日でも全く苦にならなかった。
どれくらいからきちんと意識し始めたのは分からないけど、
もしかしたら出会ったその日のうちに、
俺はもうEさんのことが好きになっていたのかもしれない。
アシスタントというのは、もう四六時中ずっと同じ空間にいるわけで
それが殆ど毎日となると身の上話など殆どしてしまうケースが多い。
出身地から中学の部活。
高校は?恋愛は?兄弟は?仲は?趣味は?
嫌いな食べ物は?他人の許せない行為は?などなど。
中でも当然真っ先に話題に上るのが漫画の話。
Eさんは俺と同じく少年漫画家志望だった。しかもメジャー路線。
S先生が連載していたのは少年誌とも青年誌とも言い難いマイナー誌で、
一体どうしてそんな子がここにアシスタントに来たんだろう?
という疑問を最初は持ったが、彼女曰く、友人の紹介らしかった。
アシスタントの世界は本当に裏で色んな人が色んな人と繋がってる。
俺がアシスタントに入り、3ヶ月くらいが経った頃だろうか。
俺とEさんはそれとなく一緒に帰るようになり、それから急速に仲が良くなっていった。
そして、自分の中で設けた期限、半年はあっという間に経過した。
半年を掛けて作った自分の連載用ネームは、自分でも納得のいく出来だった。
しかし、これを担当編集が編集長に持っていったところボツになった。
当然ショックだった。
いわゆる典型的少年漫画から少し斜めに外したような路線で、
でも自分が心から書きたいと思っていた内容だったからだ。
そして、もう一つ、この頃自分の中で結構大きな問題だったのが、Eさんと俺の差だった。
Eさんは22歳にして既にデビュー済み
読み切りも何度か載せ、人気もある程度獲得し連載用ネームを切っている最中だった。
Fさんも関してはマイナー誌で少ないページの連載を持っている人で
現場で俺は圧倒的な劣等性だったのだ。
S先生を交え、彼らが時たま繰り広げる「上での会話」に
何とか俺も参加したい…と思っていた。
ネームはボツになったが、俺は就職活動に向かわなかったしこの生活を捨てはしなかった。
そして俺は27歳になった。
S先生もFさんも、暗に俺を気遣ってくれてはいたんだと思う。
なかなか上手くいかずあえいでいる俺のプライドを
へし折るような発言は殆どしなかった。
俺がナーバスになりすぎて勝手に傷ついてるだけということが数回ある程度。
ただ、Eさんは違った。自分の才能を全開で謳歌していた。
若くして世に認められつつある自分を誇りに思っていた。
そして、そんな自分の嬉しい気持ちを無邪気に俺にもばらまいていた。
ネームがボツになってからだったと思う。
自分の心の中に再び悪い「気」のようなものが渦巻いていったのは。
それと反比例するようにEさんは俺に対して積極的になっていった。
ひとたび「漫画」を離れると普通の男と女になる。
そしてその瞬間、俺はまたEさんに惹かれていくのだ。
2週間くらいのちに俺はEさんと付き合うことになった。
同じ現場での付き合いなので周囲には隠しながら…
ということにはしたが嬉しかった。楽しくもあった。
彼女ができるのは本当に久しぶりで、長らく忘れていた
何ともいえないようなときめきが本当に胸の中でごうごうと燃えた。
だが同時に、何か、背後からグイグイとせかされるものもあった。
早くしなくちゃ…と漠然と思っていた。
何をかは良く分からなかったし、俺の求めるものは
一朝一夕でどうにかなるものでもないのも知っていた。でも早くしなくちゃ…。
俺は久しぶりに出来た彼女とデートもすることなくネームに没頭した。
一方Eさんのうほうは絶好調だった。
恋愛も上手くいき仕事も上手く行き、彼女は本当にキラキラしていた。
「今度読み切りの掲載が決まりました~~!!」
というような報告を皆の前でしていたこともあった。
S先生やFさんは「すごいね」と心から祝福を送っていた。
俺も醜い本心を悟られぬよう全開で笑顔を作って賛辞を述べた。
Eさんはそれがまた嬉しくて、大船に乗ったかのような景気のいい発言を並べていった。
「彼女」としては当然なのかもしれないけど
Eさんはやはり俺に一番褒めてもらいたいようだった。
俺もそれに応じていたが段々とそういう関係が心苦しくなっていった。
「漫画家」の定義は定かではない。
ライセンスがあるわけではないし、同人作家でも漫画家を名乗る者は結構いる。
ある者は読み切りが一度掲載されればそれでもう「漫画家」だと言っていた。
そしてEさんはそういう定義を自分の中で定めていたらしい。
そして、俺は「漫画家」ではなかった。
編集部から依頼される小さな仕事は何度かこなしていた。
読み切りというには短過ぎる漫画も載せたことはあった。
だが「漫画家」というにはあまりに小さな仕事だった。
そしてEさんは、確かに「漫画家」を名乗ってもいいだけの経歴だった。
「やっぱり漫画家になるとそれまでとは違う『責任』みたいなものが
 大きくのしかかってくる感じがするなぁ」
というようなEさんの他意のない発言にも
俺は「そうなんだ」と相槌を打つことしか出来なかった。
「俺にはまだ分からないや。
 早くそういう感覚が理解できる位置まで行きたいよww」
とはどうしても言えなかった。どうしても。
一度、Eさんに誘われて「漫画家志望者同士の飲み会」なるものに参加した。
そこに来た連中は皆、俺の持ち込む雑誌よりも遥かに有名な雑誌で
デビュー、短期集中連載、連載などを獲得している新人だった。
そして、殆ど全員が、俺よりも若かった。
どいつもこいつもキラキラしていて俺よりも数段上の高みにいて、
年上なのに俺は萎縮してしまった。
「俺さんはどこに持ち込んでいるんですか?」
「あ、××です」
「へぇそうなんですか。もう掲載とかはされてるんですか」
「あ、いえ、まだ…ちょっと上手くいかなくて」
「…あ~~…、実際大変ですもんねネーム通すのって
 実は俺もこないだ・・・」というような流れが大体だった。
せっかく出来た彼女の前で、格好付けることも出来ずに
背中を丸くしているだけの自分が本当に情けなかった。
これさえ上手くいけばまだ何とか自分を保てるというギリギリのラインだった。
しかし結果はボツだった。
実は新人漫画家にとって担当編集というのはかなり重要で、
担当編集の力・権力が大きくその後の道を左右したりするのだ。
俺の担当編集は優しかったが新人だった。
そういった権力はほぼ無いに等しかったと思う。
かといってそれを敗因だと決め付けてしまうのは愚かだとも思う。
どうあれ、俺の作品はボツになった。
第一回の連載用ネームがボツになってから、気が付けば8ヶ月が経っていた。
これで俺の紐はぷつりと切れた。
でも担当編集、S先生、Fさん。そしてEさん。
俺を取り巻く環境・人間は依然として優しく暖かかった。
気が付けば、それが俺の全てだった。
既に他に友人はいなかった。俺が切り捨ててしまったんだ。
高校のとき、ミュージシャンを目指すと言っていた彼も今は普通に就職してしまった。
俺だけが、一人取り残されてしまった。
ずっとせき立てられていたあの「早くしなくちゃ」という感情は
おそらく「早く引き返さなくちゃ」ということだったんだと思う。
でももう遅い。気が付けば俺は、もうすぐ28歳だった。
何もなしていない。職歴も資格も無い。28歳。
その日から約1週間後、俺は初めて精神科に行った。
精神科の先生は優しかったが、
当たり前だけど俺に連載を与えてくれるわけではなかった。
だから先生の言うことは何一つ根本的な解決になっていないように思えた。
先生から処方された薬も助けになっているのかどうか良く分からなかった。
でも睡眠薬はとても有難かった。
これのお陰で少なくとも俺は夜眠ることが出来た。
そして、既にこれが無ければ眠れない体にもなっていた。
今思うとこんな状態になったのなら
すぐにでもアシスタントをやめるべきだったのかもしれない。
でも、アシスタントを辞めてしまえば俺は本当に一人。
外界と一切のリンクがないニート。
Eさんとも別れることになってしまう。
いや、その説明をまずEさんにしなくては…。
俺を取り巻くごくわずかな周囲の人は優しかった。
そのお陰で俺は半ば自動的に人間らしい生活を送ることが出来ていた。
でももう漫画は描けないでいた。
遂に28歳を迎えてしまった俺…。
そんな中Eさんは遂に連載を獲得した。
俺が恐れていた日だったが、もうこの日が来るのは誰の目にも明らかだった。
おめでとうと周囲から称えられ笑顔で応じるEさんは可愛かった。
就職しよう…と思った。やってやれないことは無いはずだ。
就職して、そして、Eさんと結婚でもしよう。
漫画のことは完全に忘れたいけれど、
これだけ世の中を沸かしている漫画を
一切目にも耳にも入れずに生きていくなんて不可能だ。
ならばいっそ俺の夢はEさんに託して…。
そんな風に思って、再びハローワークのHPを覗く日々が始まった。
そして遂に、決定的に俺が崩壊する日が来た。
その日はいつも通り、アシスタントに入っていたのだが睡眠が切れてしまっていた。
睡眠薬は処方される数が制限されているので、こういうことはしばしば起きた。
冬の寒い日で暖房のタイマーも切れ、空気が再び寒くなるまで俺は眠れずにいた。
3時間は眠れなかったと思う。
空腹を感じたので俺は近所の牛丼屋に行くことにした。
すぐ隣で眠るS先生を起こさないように慎重にドアを閉めた。
こういうことは何度かしていた。
雪の降る深夜、駅前まで歩き、牛丼屋に入店する俺。
帰りにコンビニにも寄り仕事場に帰ったのは1時間後くらいだったと思う。
EさんやS先生を起こさないようにそっと扉を開けた。
「?」
帰ってきた俺は一瞬首を傾げた。
俺が出て行くときにあったS先生の姿がなかったのだ。
…?こんな夜中に外へ出て行ったのか?
先生も牛丼を…?いや、コンビニかな…?
息も凍る真夜中。ふと柱の梁がミシッという音を立てる。
「…?」
微かな音はふすま一枚挟んだEさんの寝ている部屋から聞こえてきた。
…え?…?俺の心拍数は急速に上がっていった。
うそでしょ?まさかそんなことないでしょ?
布団がこすれるような、本当にごくわずかな音だけが聞こえる。声は聞こえない。
俺はしばらくその場に立ち尽くした。
確信が得たい…と思った。
このふすまを開けてしまいさえすればハッキリする。
だが、俺の体は信じられないくらい震えて遂に手は動かなかった。
そんな俺が次にとった行動は、なんと普通に元の自分の布団に潜り込むことだった。
「なんで…?え…?」
今止めれば間に合うかもしれない…と思った。
でも俺の体は動かなかった。
それどころかこんな状況にもなって、証拠・確信を掴もうと耳だけは澄ましていた。
音が止んだかと思うと、また布団のこすれるような音がする。その繰り返し。
なんで…?何故? と思った。
何故俺はこんな状況にもなってこんな卑屈な態度なんだ?
でも答えは最初に違和感を覚えたときから、ずっと俺の頭の中で響いていた。
S先生は漫画家だった。そして、Eさんも漫画家だった。
本当に、あの場でこんなことを思うなんて本当に不思議なんだけど
俺はその二人を心の中で「お似合いだな」と思っていた。
二人は全てが上手く行っていた。二人の人生は輝いていた。
二人は俺の夢を実現させていた。二人の職業は漫画家だった。
そして、俺は、ただの漫画家アシスタントだった。
結局俺はそのまま寝たふりをし、次の日の仕事もきちんとやりおおせてから帰宅した。
そして、もう誰とも連絡を取ることはなくなった。
大騒ぎになると両親に迷惑を掛けるから
短い事務的なメールだけをEさんとSさん。そして担当編集に送った。
こうして俺の漫画家への夢は幕を閉じた。
後日談。
何もかもを失った俺は立ち直るのに半年近くかかった。
でも半年で結構いい状態まで持ち直したと思う。
就職活動はそれからしてみたものの、やはりなかなか上手くいかず。
いちから何かを構築するということに精神がもうめげてしまっているのかも。
ただ運のいいことに(これは俺が立ち直るきっかけをくれた人でもあるんだけど)
漫画家志望友達が簡単なイラストの仕事を紹介してくれて、その仕事が今に続いている。
食えるにはまだ程遠いけど、今は前よりも少し人前に出る自信が付いた。
近く始まると言っていたEさんの連載は未だに誌面を飾っていない。
長々と付き合ってくれてありがとうございました。