妹『お父さんがたおれちゃった、早く病院来て』『お父さん意識なくなった、早く来て!』『お父さんタヒんじゃったよほんとに早く!』昨日まで『こんな傷でタヒにゃしねぇよ!』と元気に笑ってた父が急タヒ・・・

ちょうど半年くらい前に親父が亡くなったんだ
持病とか何も持ってないのに、いきなりポックリと。
いきなり妹からメールが来たんだ。
確かこんな文面だった気がする。
「お父さんがたおれちゃった、はやくびょういんきて」とか
そん時は「まぁ、あんな親父だからそう易々とタヒぬことはねーだろ」
とか思ってて気にしてなかったんだ。
んで、そのあと1時間ちょっとしてまた妹からメールが来たんだ。
「おとうさん意識なくなった」
「どうしようどうしよう、しんじゃうよ。はやくきて」
ちょwwwwwww
どこかもわかんねーのに行ける訳なくねwwwwwww
そしたら30分後くらいに、また妹からメール
「お父さんしんじゃったタヒんじゃったよ」
「どうしようほんとに早く」
って来て、内心メッチャ焦ってた。
イヤイヤあの親父がタヒぬなんてあるわけ泣くね?
前日までピンピンしてたあの親父がだぜ?おかしいおかしい。
親父は少林寺拳法やってて道院持ってたんだ。中国の少林寺とは違うぞ。
やってる人はわかると思うけど、間違えられると結構悔しいんだ。
道院とはいっても、去年の9月くらいに建てたばっかの新しい所で
門下生も1桁しかいなかったけどな。
それで地域のスポーツ振興会みたいなイベントで
親父はデモンストレーションやったんだ。
ずっと演武組んできた人と、そりゃもう激しい感じで
終わった後にはアオタンが出来るくらい。
「イヤァァァ、痛そー」とか話してて
親父は「こんな傷でタヒにゃしねぇよ!」って笑って言ってた。
なのに、その次の日にタヒぬとかねーぜ親父
色々困惑してたらおかんから電凸
おかん「アンタ今何やってんの?」
俺「いや、寝てた」
とっさに出たのが嘘だった。本当はめちゃめちゃ混乱してた。
おかん「今妹と病院にいるから、今すぐ来なさい。○○病院だから」
俺「おk」
そう言って俺は着替えて犬の散歩に行って、リビングに行ったんだ。
そしたら置手紙があって「お父さん倒れた。○○病院に来て」って書かれてた。
場所書いてあるやんか。とまぁ冷静さを取り戻しつつ家を出た。
最寄り駅はチャリで20分くらいのところにあるんだがダッシュで行って10分で行った。
冬も終わりかけの中途半端な時期だったのと
焦りで汗が凄かったと思う。周りの人結構引いてた。
病院までは電車で30分だから、それまでちょっと色々考えようと思った。
で、次で降りるというときにおかんから電話
おかん「もうすぐ帰るけど、今どこ?」
俺「次で降りる」
おかん「あ、そう。わかった。駅からはタクシー使いなさいね。お金はあげるから」
俺「把握」
てなことを話してたら到着。タクシー使って病院まで言った。
病院までいったのはいいが、財布の中はカラだった。
急いでおかんに電話
俺「金がない!!!!!」
おかん「病院で払ったげるから気にするな。早く来い」
お金の面は大丈夫になった。
到着。おかんが入り口で待っててくれて諭吉渡してくれた。
お釣りはもらっといた。
>>タヒ因ぐらい書けよ
「大動脈破裂」だそうだ。詳しくは後で書く。
ラッキーとか思ったけど、おかんの眼が潤んでた。
おかん「お父さんどういう状態か知ってるよね?」
俺「おう」
おかん「よし、なら行こう」
って言って、おかんに連れられて病院に入った。
病院に入ると「関係者以外立ち入り禁止」の立て看板の方に行くから、ちょっとビビった。
それでも黙ってついて行った。
おかんが「ここにお父さんがいるから」と指をさしたのは霊安室だった。
ドラマとかではよく聞くけど、実際に入るのは初めてだった。
入るとしても、もっと遠い未来のことだと思ってた。
ドアを開けると、父方の祖母、母方の祖母、おかんの兄貴がいた。
で、ストレッチャーの上には親父が寝てた。
タヒんだとか全然実感できなかったんだ、その時は。
ストレッチャーの横側には豪華な仏花が供えられてて
真っ白な布が布団みたくかかってた。
近くにはソファとテーブルがあって、結構な量のペットボトルと食べ物があって
長い時間ここにいたって嫌でもわかった。
その時、親父がタヒんだことよりも待たせて申し訳ないって気持ちが強かった。
まぁ、実際亡がら見てみても案外実感できないもんよ。
母方の祖母が「まだ暖かいんだよ。触ってあげて」
って言ったけど、俺には触れなかった。
触ったらなんかいけない気がしたんだ。いや、本当に。
そしたらおかんの兄貴に呼ばれてちょっと部屋を出た。
兄貴「本当は即タヒだったんだ。病院に運ばれたときにはもうタヒんでたんだってよ」
って言われて、俺の頭はますます混乱した。
部屋に戻ると、みんな親父の顔見てた。
けど、俺はあまり見なかった。
だってそのまんまの寝顔だし。今更・・・って感じだった。
今思うと、もっと見とけば良かった後悔してる。
そしたら、その日はもう帰ろうって事になった。
親父は病院に残したまま、俺おかん妹の3人は帰る事になった。
こんな精神状態で運転させたら危ないってんで
兄貴が運転して実家まで送ってくれた。本当に感謝してる。
家に帰って、みんな疲れたから簡単なご飯食べて寝ようって事になった。
俺は、3人の中で比較的落ち着いてられたから俺が作った。
その時は麻婆豆腐作った。いや、よく覚えてるもんだ。
んで、その日は寝た。
俺 高校卒業したて、大学入学間近。
おかん たぶん44歳 産廃の会社の事務やってる。
妹 高校1年 めっちゃ頭いい。
次の日、朝一番に起こされて即刻病院へ。
親父は昨日と同じままの状態だった。
変わったのは体温くらいらしい。
(俺は触ってないからわからない)
俺たちが来て1時間後くらいに兄貴登場。
おはぎ持ってきてくれて、おいしくいただいた。
それからまた1時間後くらいに、親父を家まで送るってんでワゴンが来た。
ストレッチャーごと移動させて救急車入るみたくワゴン車へ。
そのワゴンには親族が一人乗れるんだが、そこには俺が乗ることになった。
おかんは運転、兄貴も運転、妹は家。
俺はまだ仮免だったから運転は出来なかったんで俺になった。
車に入ると、すぐに出発だった。
そこには、業者の方2名と、俺親父。
車内は誰一人話さないで無言だった。
そこで不意に思ったことを聞いてみた。
俺「こういう所で泣く人ってどれくらいいますかね?」
業「そうですねー、女性は大概泣いてますけど
  男性も泣いてるかたいらっしゃいますよ」
俺「そうですかー・・・」
そこで俺はもう一つ気になったことを聞いてみた。
俺「この車って、運転するのに二種免許いりますか?」
業「いやー、これは大丈夫です。一種で大丈夫です」
俺「そうですかー・・・」
その時、俺は結構ショックだった。
んで、家に着くとどこに親父置くかって話に。
この時点でちょっと嫌だったんだけどね。
話し合いの結果、やっぱりリビングにしようってんで急いで片付けた。
布団を敷いて、その上に親父を寝かせたんだ。
その時ちょっと親父に触っちまったんだけど、すげー冷たかったんだ。
親父を寝かせる所作ってると親族大集合した。
うちって、おかんの兄弟が上に二人いるから結構人数多いんだ。
いつもは4人でいたリビングに倍以上の11人なんて入るから狭いのなんの。
そんなこんなで親父を寝かせた。
で、実家には犬がいるんだ。豆柴の雌なんだけど。
そいつは冷たいくせに、親父にだけはデレてたんだ。
親父が仕事から帰って来ると、すぐに飛び付いていって腹も見せてた。
わかるやつはわかると思うけど、犬って笑うんだよな。
眼を細めて、本当に笑うんだw
なんだけど布団に寝かせた親父には見向きもしなかったんだ。
何でだろうな、本能でわかるんかな。すげぇ辛かった。
みんなおかんの身を心配したり、身の回りの事は全てやってくれた。
俺の部屋の掃除もw
そしたら、おかんの姉さんはしばらく泊まるって言うんだ。
そりゃそうだよな、夫を亡くして後追いとかされたら困るし。
外を見てみると、もう夕方だった。
家は西日が強くて、部屋が妙に神秘的だったの覚えてる。
そしたら夜ご飯の時間になった。
その日は姉さんが作ってくれたグラタンだった。
俺と妹は喰えたけど、母さんは一口手をつけただけだった。
姉「食べないと体持たないよ...」
おかん「いや、大丈夫。それより子供達に...」
俺「俺らはいいから、おかん喰え」
おかん「だから大丈夫だかr...」
俺「いいから喰え!!!」
おかん「ごめん...」
こんな怒鳴ったの久しぶりだわってくらいでかかったと思う。
ご近所さん申し訳ない。
みんな疲れてるから、寝ることになった。
ベッドに入ったけど、寝れる訳もない。
親父との思い出フラッシュバック。
ラーメンが好きで、スープは全部飲んでた。
マイルドセブンが好きで、たまにマルボロ吸ってた。
BMWに乗ってたけど、車内が煙草臭くて気持ち悪くなるからあまり乗りたくなかった。
4人で最後に食べた飯は鍋だった。
色々思い出してると、朝日が眩しい。
俺の部屋は東窓なんだ。
下に降りるとみんな起きてる。
なーんだ、みんな寝れなかったのか。
朝御飯は簡単にトースト。
おかんは凄い勢いで食べてた。怖いくらい。
昼前に、もう一回親族一同集合。
地元でやってる葬儀屋が来て、葬式までの手取りを教えてた。
聞いてたのはおかんと俺。それと兄貴。
ここでちょっと厄介な事になったんだ、
タヒ因は前にも書いた通り「大動脈破裂」それはそれでいいんだ。
が亡くなった場所が問題だった。
病院、又は自宅で亡くなればすんなりといったんだが親父はそうじゃなかった。
親父は会社の駐車場で亡くなってたんだ。
社用車に乗って、ベルトを締めてエンジンをかけた。
その直後に亡くなったらしい。
会社の人は、エンジンかけたまま動かないのは
おかしいっていうんで見てみたら亡くなってたんだ。
これも前に書いたが、病院に運び込まれた時には既にタヒんでた。
それは聞いてた。即タヒとは聞いてない。
車の中で既にタヒんでたってことじゃんか。
苦しむ間もなくって言ってた。相当痛かったんだろうな。
亡くなったのが会社だから、ジ件性が無いかどうか調べるらしいんだ。
それで、葬式の場所取りに必要な「タヒ亡診断書」が病院から貰えない。
さて困った。こればっかりはどうしようもない。
結局、場所が取れたのは4日後だった。
その間も色々あったけど、抜粋で。
翌日、家族の誰かが毒を盛ってないか事情聴取。
車から消費期限の過ぎた半額パンが見つかった。
翌々日、墓をどこに入れるか。
うちの事情って少し複雑で、まぁ墓が3つあるんだ。
それで最終的に俺の祖父、つまり親父の親父がいる墓に決まった。
3日後、場所がどんどん埋まってく。病院から連絡なし。
ジ件性がゼロになるまで、遺たいを傷つけてはダメってんで
ドライアイスとかも置けなかったんだ。さすがに俺もキレかけた
4日後、あまりにも連絡が無いから、ちょっとコネを使うことに。
親父の知り合いにK察の元お偉いさんがいたらしく、その人に助けを求めることに。
それから30分後、病院から連絡。
診断書できました。
コネsugeeeeeeeeeって思った。
早速ドライアイス。
通夜は2日後、告別式は3日後になった。
その次の日は線香ラッシュ、次から次に人が来るわ来るわ。
その時おかんは普通に話すことも出来て、よかったよかったと安堵してた。
でも、次の日からそんなことは無くなった。
通夜をする式場まで運ぶってんで、親父を霊柩車に乗せる作業に。
この時既に礼服。この服にもちょっとあってだな。また別のお話。
霊柩車に乗せる前に、色々遺たいにつけるものがあるんだ。
白い布なんだが、まぁ簡単な作りのやつ。
それを着ける時、どうしても親父に触れてしまう。
めっちゃ固くて、めっちゃ冷たかった。比喩表現無しで氷だった。
デカいぬいぐるみを思い浮かべてくれ
あれって、床に転がすと全体が揺れるだろ?
あれと同じ事が親父でなったんだ。ゴロンって。
見たくなかったね。完全に「物」になってた
親父を霊柩車に乗せて、近くの斎場へ。
俺が行く頃にはすげぇ沢山の人がいて正直ビビった。
改めて親父の凄さを思い知ったわ。
そして、棺ごと定位置に生花も数えきれないくらい来てて
総裁とか連盟会長とかからまで来てた。
親父何もんなんだよ...
その日俺達家族3人は斎場に泊まることになった。
3人は凄く喜んだ。少しでも親父の傍にいてあげたかった。
そして通夜が始まった。
うちは真言宗のぶざん派(漢字わからん)らしいんだが
かといって何かが違うって訳でもない。
ただ単に坊さんがお経読んで焼香済ませるだけだ。
親族の俺達がまず焼香。
その後一般。だが、それが凄かった。
坊さんがお経読み終わってもまだ続くの。
あまりにも長いから、1,2回落ちた。
すまん、親父
そして何事もなく通夜終了
みんな帰宅。俺達残る。
そこでは、やっぱり親父の話なんだ。当然っちゃ当然だけど
この後どうしようか。大学行けるのか?家売るの?そんな事から、生前の話まで。
なんかほのぼのしてた。親父がまだ「残ってる」から。
次の日に焼くなんて頭にも無かったよ
その日の夜ご飯はコンビニ弁当。
俺はパスタサラダの豚しゃぶ食べた。
喰い終わったら、みんな眠くなったので寝た。
凄い安眠だったと思う。親父と寝る、最後の夜だった。
次の日、告別式
こっからはもうハイペースで。
途中までは昨日と同じ。
違うのは参列者の数くらい。多少減ったかな?
一頻り終わった後、出棺するってんで花を渡された。
いやいやいや、ここに来て俺理解できない。
これから親父どうするんだよ。
ちなみに、俺泣かなかったんだ。
これも前に書いたけど、割りきれてたから泣かなかったって思ってるんだけど
うーん、どうなんだろ。
で周りはめっちゃ泣いてる。鼻のすする音がそこらじゅうで。
ちょ、俺まで泣くじゃんか。
その時、門下生の一人が俺に聞いてきた。
「お兄ちゃん、悲しくないの?」ってな
俺はその質問に答えられなかった。
そりゃ悲しいよ、悲しいに決まってる。
でも、じゃあなんで泣かないの?わからん
「割り切ってる」って思ってるけど、俺はまだ実感出来てないだけじゃないのか?
そんな事考えてる内に俺に花が渡された。
置いた場所は今でも覚えてる、左耳の隣だ。
俺が置いたのはその一輪だけ。
他の花は参列者に俺が渡していった。
命日の前日、演舞をやった人にも渡した。
その人も涙ボロボロ流して悲しんでくれてた。
それを見たら、もらい泣きとかではなく素直に嬉しかった。
花を全て棺の中に入れて、最後のお別れの前に、蓋に釘を打つか聞かれた。
おかんは泣きまくってて話せる状態じゃなかった。
俺に任されたわけだが「釘」ってワードを聞いたときグラッてなった
実際、今も結構グラグラ来てる
俺は「止めてください。親父に釘は、打たないでください」って伝えた。
それを聞いたおかんは、更に泣いていた。
それでも、俺は泣けなかった。
棺に蓋をして、顔を見る。やっぱりいつもの寝顔。今にも起きそうだ。
蓋を閉じる、その時におかんが
「いやぁぁぁ!!行かないで!!!」
って言葉が未だに耳に残ってる。あの時は本当に泣くかと思った。
出棺
斎場の隣に焼き場があって、そこまで徒歩で移動。
焼き場の前に立つと、扉に吸い込まれそうな、なんとも言いがたい気持ちになった。
棺が扉に吸い込まれていく。
おかんはただ泣いてるだけだった。泣いてないのは、俺だけだった。
焼けるまで多少時間がある。
その時間が地味に長いから嫌なんだよな。
参列者にお酌したり、お礼回りにで結構疲れた。
外の空気も吸いたいし、一旦俺は席を外した
外をブラブラ歩いてると、煙突から煙が出ていた。
「あー、あれ親父かー」
とか思いながら見てたら、従業員らしき人が話しかけてきた。
なんでも、焼いている親父を見せてくれるらしい。
俺も聞いたときは一瞬躊躇した。
焼いてる途中とか見せて大丈夫なのか?そのまま倒れたりしないか?
とか考えたけど、チャンスは今しか無いわけだし
最後を見てやろうじゃないかって思い、俺は承諾した
従業員の人が火を弱めてくれて
「あれが君のお父さんだよ」と言って見せてくれた。
そこには肋骨が見えていて、腕は肘から先しかない。
頭は頭蓋骨と肉が両方見えていた。
けど、さほど怖いとは思わなかった。これはマジでわからない。
俺バイオハザード無理なのに
それを見た俺は、何故か虚無感に襲われた。
たぶん、それを見てようやくタヒんだんだなって実感できたからだと思う。
それから戻ると、またお礼回りに行くよう言われた。
飯も食べた。寿司が出てて、味がしなかった。
親父が焼けたとの事。
骨壺に入れるんだが、ここでちょっと嬉しい事が。
「喉仏」ってあるよな?あれは、まぁ骨なんだが。
それを見ると、坊主が合掌してるように見えるから「喉仏」なんだそうだ。
通常、この骨は脆くて形が残りにくいんだが親父のは綺麗に残ってたんだ。
斎場の人も「ここまで残ってるのを見るのは2回目だ」って言ってた。
骨を納めて、蓋をする。
おかんは位牌、妹は写真、俺は骨壺を持つことになった。
いざ持ってみると、中々重い。しかも、まだ少し熱いんだ。
昨日はあんなに冷たかったのにな
参列者とは斎場でお別れ。親族のみ実家へ行くことに。
親父、帰宅。位牌と写真、そして骨壺が仏壇に置かれた。
そして、みんなで線香をあげた
ここには書いてないけど、葬儀屋にも凄くお世話になったんだ。
一つ一つの仕事が出来るのは勿論、
なぜそれをするのかって理由を、歴史を踏まえて話してくれたんだ。
すげぇな、プロだなって本気で思った。
無事に告別式も終わって親族の皆様には
お世話になりましたと伝えて帰ってもらった。
久しぶりの4人。1時間くらい、3人で親父見てた。
その時は、おかんも忌もうとも泣いてなかった。
それからは「普段の生活を取り戻そう」ってんで、みんなで頑張った。
俺は無事に大学に行けたし、おかんも仕事してる。
妹は美大に行きたいとか言い始めた。
その後に、また別件でゴタゴタありました。
>>今まで端折ってきたゴタゴタ編はないんすか
じゃあ礼服から
入学式に使うってんで、スーツ買いに行ったんだ。
そこで俺は「なんか明るい系のやつ」って言ったんだけど、親父が
「そういうのは色んなのに使えるように買うもんだ」
「礼服にも使えるやつにしろ」って言ったんですよ。
まさか、初スーツが親父の葬式とは思わなかったぜ。遺言か?
次に告別式前のゴタゴタ
通夜の受付を、隣に住んでる仲のいいおじちゃんに頼んだんだ。
通夜はそれで大丈夫だったんだが、告別式に来れないって言い出したんだ。
訳を聞くと、いきなり倒れて失禁したみたいなんだ。
救急車に乗って近くの総合病院行ったんだが心肺が停止したらしい
おいおい、こんな頻繁にタヒんでいいのかよ。と思って告別式が終わったんだ。
その次の日に、なんと奇跡的に回復したって言うんだ。
人はタヒぬ前に筋肉が緩んで失禁に近い状態になって
「これはダメだ...」って思った中の回復だから本当に奇跡だよな。
この前、その人と一緒な庭のモクレンの選定したんだ。
いやー、よかったよかった
で、全てが終わった後のゴタゴタ
おかんにガンが見つかりました。
納骨式が終わった後の事だった。
会社で健康診断があるらしいが、特に心配はいらないって言ってた。
その帰り、とんでもないもんを持ってきやがった。そう、癌だ。
おかんはだいぶ憔悴していた
そりゃそうだ、つい最近夫を亡くしたのに次は癌かよ
おかんはそのまま寝てしまった
妹には言わないで、とのことだったので謂わないでいた
次の日、妹が予備校で遅くなるって言うので二人で話した。
入院をしなくてはいけないこと。
初期の段階だから、強い薬を使わなくても大丈夫な事
妹にはおかんから言うこと
話し終わると、俺は自室で寝た。
おかんが可哀想すぎて見てられなかった
起きると朝の4時だった、おかんはまだ寝てる
俺は早すぎるけど大学に行くことに
始発もまだ動いてないけど、おかんと顔は合わせられなかった
地元をフラフラしてるとおかんからメール
「いまどこにいるの?」
返信はしなかった
始発の時間になり、学校に向かった
その日の講義は全然頭に入らなかった
帰りたくなかった。でも帰りに遊ぶところなんて知らない
この時も、おかんには会いたくなかった
家に帰ると、おかんはまだ帰ってきてなかった。
その代わり、いつもいないはずの妹がいた。
なんでも、予備校が休講になったらしい
何でこんなときに...本気で神様を恨んだ
そうしてると、おかん帰宅、最低なタイミング
おかんは悲しそうな顔をしてた
その時にハッとなった
もう親父はいないんだから、俺がおかんを支えなきゃならんのに
なにやってるんだ
ということで、おかんが入院するために必要な手続きは済ませておいた。
あとは入院するだけってとこまできた
おかん、入院
そのあいだ、姉さんが来てくれることになった。
さすがに子供二人で何日も家空けるわけにもいかないからな
妹には「悪性で無い腫瘍がある」
「放っておくと悪性に変わるので先に取っておく為入院」とした
そんなもんはないけど。
癌とは言っても、初期だから大丈夫とは聞いていた。
手術予定日は7日後
それまで毎日見舞いに行き、調子はどうか
ご飯は食べられてるかなどお互いに聞きあった
途中、こんなことを言ってきた
「お父さんタヒんじゃって、大変な時期にごめんね」
「頑張って早く治すからね」って。
実はテスト期間だったが、おかんにそれは言ってなかった
余計なシンパイかけて悪化させたくないしね。
で、手術当日
俺はテストで行けなかった。
それが凄い悔しくて申し訳ない気持ちで一杯だった
テスト中も、おかんの事ばっか考えてた。
まぁ、中身は何とかなりました。
しかし、テストが終わっても何の連絡も無い。
これはおかんの身に何かあったのか?
友達に断って、先に帰らせてもらった。
学校から病院までが地味に遠くて1時間半とかかかるんだよ。
その間もずっと連絡なし。
これは本格的にマズいんじゃないか?病院に着くまで連絡は無かった
病院に着いたはいいけど、どこにいけばいいのやらさっぱり
病室行っても誰もいなかったからナースさんに聞いた。
手術室は地下一階にあるらしい
エレベーターが中々来ないので階段で行った
手術室の前に行くと、姉さんと兄貴がいた。
妹は予備校
今日が休講じゃなくて本当によかった...
「おかんいつから入ってるの?もうすぐ終わる?」
兄貴がいる時点でそんなことは無かったけど、確認したかったんだ
もし、万が一何もなければ普通に答えてくれるはず。
普通じゃないから答えてくれなかった
予定じゃ、朝の9:00からって言ってたんだよ
だっておかしいだろ?
朝の9時から夜の6時まで手術してんだぜ?
初期の段階じゃなかったのか?もっと進行が酷かったのか?
色々頭の中でぐるぐるなった。
と思ったらランプが消えた
3人ともドアを見る。中からDr.が出てくる。
「成功しました」
ひとまず安心。しかしなんでこんな時間かかったんだ?
「ですが後遺症が残ります。」
.....................え?
おかんには前から言ってたみたいだが、左腕が満足に動かせなくなるらしい。
とは言っても重いものが持てなかったり
肘を全開で伸ばせない程度のものだった。
長かったのは、その後遺症を少しでも押さえようとして手術をしていたかららしい。
しかし、そんなことは寝耳に水である。初めて聞いたぞ、オイ。
続いておかんが出てきた
全麻が効いているためか、そんなに意識ははっきりしていなかった
俺はただ、呆然とつっ立っているだけだった
病室に戻ると、おかんが話しかけてきた
要約はこうだ
・後遺症について言わなくて申し訳なかった
・妹には最後まで言わないであげて
・すぐよくなる、あと少し待ってて
こんな感じ。
全麻効いてるのに無理して喋るなよ...
俺は家に帰った
自分の部屋のベッドで寝た気持ち悪いくら泣いた
一頻り泣いた後、おかんに電話した
電話に出たおかんはさっきに比べたら話せていた
・一緒にリハビリ頑張ろう
・こっちはうまくやってるから心配ご無用
それだけツタエテ切った後、また泣いた
そっからのおかんの回復は凄かった
本当に「治したい人」って眼の色変わるぜ
退院してきた時は左腕吊ってたのに、2日後にはそれも取れた
あとは飯
飯は普段からよく食べるおかんなんだが、その時は米を一人で二合は食べてた
ホントに喰ってた。
米をおかずに米を喰ってる感じだよ、もう
それ見てたらさ、弱音とか言ってらんない
お互いに勇気付けられたと思ってる
でも、おかんがいくら頑張ってもやっぱり後遺症は残るんだ
左腕はやっぱり伸ばせないし重たいものも持てない
具体的に言えば、買い物だよな
左手でレジ袋なんて持てない。
だから、買いに行かないで済む生協も勧めたし
買い物行くときは俺も一緒に行ってる
それ以外は普通の生活送ってる
最近やっとそう思えてきたんだ
今は俺大学生、おかん事務、妹JK、犬でなんとかやってってる。